輪島逝く
2018-10-11 13:32:540 Comments
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北の湖と、一時代を築いた元横綱の
輪島大士さんが亡くなりました。
70才でした。
ずっと名前は たいし とばかり思っていたら
ひろし さんでした。
北の湖との優勝争いも、名勝負でしたが
人気力士同士の、貴ノ花戦は、毎場所組まれたと思います。
どちらかの成績が悪いと、後になっては組みずらいのか
中日前に、大関横綱戦が組まれた事もあったと思います。
輪島は 初の大卒横綱 としても有名でした。
同世代ながら、中卒で角界入りした貴ノ花とは
ライバルであり、大関に同時昇進した
大親友でもあったそうです。
その貴ノ花との、何番稽古かで勝ち越した時は
負けた貴ノ花の師匠の、二子山親方が怒って
お前は黒のまわしを着けろ!
と貴ノ花に言ったそうです。
稽古用のまわしには、白と黒があり
格が上の方が白
格下が黒のまわしだったそうです。
白と黒の、境がどこかは分かりませんが
当時は 大卒なんかに負けるな!
と言う風潮があった様です。
そのうえ、派手好みで角界のプレイボーイとか
蔵前の星、などと呼ばれ人気を博した輪島は
他の親方衆からは、何かと疎んじられたようです。
そんな時、輪島の師匠の花籠親方は
悔しかったら勝って言え!
と、弟子をかばったそうです。
その師匠の娘と結婚し
花籠部屋を継承した輪島。
しかし、親方株を
借金の抵当に入れた事が問題となり
相撲協会を解雇され、廃業となったり
夫人の自殺未遂騒動で、離婚してしまったりと
引退後は、苦労の連続でした。
実際は、輪島と親しい人の話では
夫婦仲は大変良かった そうです。
外野に色々吹き込まれた夫人が
ノイローゼ状態の時の話だそうです。
その後も、プロレスに転向したり
アメフトに関わったりと、忙しい人生でした。
輪島の現役時代で、僕がよく覚えているのは
最後の優勝の前後の食事 です。
最後の優勝の、二場所前には、アナウンサーに
最近は、よく肉を食べるようにしている!
と語っていたそうです。
しかし、優勝を逃した翌場所、今度は
野菜をよく食べるようにしている!
と語っていたそうです。
いづれの場所も、あと一歩の所で
優勝を逃しました。
そして、その翌場所、今度は
肉でも野菜でも何でも食べるようにしている!
と語っていたそうです。
そして、その場所、最後の優勝!
やっぱり、バランスは大事で
何でも食べる事が大事なんでしょうか。
色々な話題を提供してくれた輪島さん。
それでも、いつも人気者でした。
安らかに、お休みください。